スマホ中毒と読書中毒

 例えばドラえもんの話。のび太が成長して一人前になってしまえばドラえもんは未来に帰ることになるので、番組的(漫画的)にのび太のドラえもん依存は終わらせることができないという事情がある。とはいえ、ドラえもんがのび太を助けるために未来の道具を毎回ポケットから出している限りのび太は真に成長することはないと視聴者(読者)の多くが思うだろう。


基本的に便利な道具に頼るようになれば頭脳を含めた身体能力のどこかが衰えやすくなる。自動車は分かりやすい例だろう。今の日本では田舎ほどどこへ行くにも自動車が必要になるので歩く距離が短くなり足腰が衰えやすい。便利な道具によって浮いた時間を使って、以前は生活で使っていた身体機能を意識的に使用することによって衰えを防止していかないのは皮肉なもの。


さて、自動車の次に革命的に現代人の能力を奪っているのはスマホだろう。ワープロ・PCの時でも例えば漢字の自動変換を使っていくことによって、いざというときに漢字がかけなくなることがあるのは私を含め多くの人が体感している。スマホはそれよりさらに私達の記憶や思考の肩代わりをしてくれる。


スマホは単なる記憶・検索デバイスではなく、ソーシャルネットワークの機能が充実して自分に対するメッセージなどが次々と来るフォードバックがあるためそれが気になって離れられなくなる。PCは家・職場を離れれば開くことはできなかったが、スマホはいつでもどこでも一緒にいることができるのでさらに恐ろしい。片時も放すことができず、隙間時間があれば自分へのフィードバックや情報をチェックせずにいられなくなる。駅のホームでの待ち時間や電車の中だと今やほとんどの大人がスマホをいじっている。


私自身もスマホ依存症・中毒のことを知って、脱スマホまではいかなくともスマホの使用を減らそうとして一時的には成功したが、しばらく経つとまた使用時間が増えてきた。一度慣れるとそれから脱するのは本当に難しい。


スマホが人の考えることを肩代わりして、情報を常に送り続け、脳の考える力と休む時間を奪っているということを知ってから、実は読書も少なからず同じことが当てはまるのではと考えるようになった。ただひたすら本を読んでいくのならネットサーフィンするのと同じだ。もし読書がスマホの電子書籍の場合はさらに似ることになる。私も知識を求めてただひたすら本を読んでいく時期があった。読んでいくのだけどその割に本の内容が自分の身になっていないのでないかと感じていた。


結局は、読書をただただすることは他人の頭で考えることと同じになる。表面的な知識以上のものを身につけようとするなら、一度その読書から離れて内省しないといけない。一度現実の世界に立ち戻って自分の頭で考えなければいけない。