自立、自律、自制、自主、自発

 「自」がつく2文字の言葉を5つほど並べてみた。いずれも「自分で〜する」という意味合いになる、主に教育関連の本で出てくる語たち。共通の意味合いもあるし微妙に異なりもする。ここでは私が感じている意味をまとめてみる。


「自立」と「自律」は同じ読み方。「自立」は自ら立つということで、他の助けなしで何かができるということ。「自律」は自らを律するということで、自分の行動基準を持ちそれに当てはまるかを判断しながら行動できるということになる。自立は一人前として通用する能力面が強調されて、自律は自らの意思で行動の面が強調されている。


「自立」と「自律」はうまい具合に意味合いが違うため、2つの「じりつ」セットで学校教育の目標によくあげられる。社会人としての仕事をこなすだけの力を身につける自立と、自ら考えて行動し周りの人に迷惑をかけずに模範的であるための自律。教育面でいえば「自立」は学校教育の目標であり卒業までに達成すればよく、「自律」は学校生活中にも生徒にもできるだけ求められる性能ということになるだろう。この2つだけでも多くの人が納得できる無難な教育理念だと言える。


「自制」は自分を制御するの意味となり、その制御の結果として自らの基準に当てはめる行動となる。「自律」と重なる部分も多いが、その行動のために邪魔となる衝動を対処することが強調されているイメージだ。


「自主」は自分が主となって行動するとなり、自律と似た意味となる。違いは、自主は「自分自身で」ということが強調され、それと比べると自律は自らの「行動を判断する」という面が強調されている。


「自発」も自分から行動すると意味で「自主」と似ている。しかし「発現」の発なので、自然と湧き上がって行動する、言い換えれば、他人に強制されず「自然と行動する」という面が強調される。


漢字の意味から意味の違いをやや強引にひねり出してみたが、今度はその意味をもう少し掘り下げてみたい。特に「自律」。自律はこの5つの中で唯一「他律」という対義語がある。他律は他人から言われて、または強制されて行動するという意味となる。また他人が関与していなくとも衝動的に行動してしまう場合や、何も考えずにただ流されて行動する場合も他律に含めることがある。


自律の本来の意味は自分の行動を「自分の基準」に当てはまて判断することだけど、社会で通用する模範的な基準でなければ「自律」しているとは教育上は呼ばれない。


そもそも人間の全ての行動は全て自分の判断基準に従っている。例えば他人に強制されて行動するという場合でも、強制してくる他人に対して逆らうことよりも従うことを重視した意思表示であり、これもその人の判断基準に従っている。


結局は、ある人が「自律」しているかどうかを判断するのは他人なのだ。学校だと先生が、会社だと上司が組織の模範的行動を自らしてくれているかどうかで、その人が自律しているかどうかを判断されている。


それと比べ「自制」は、人の内面での感情と理性のせめぎ合いなので、他人の観点よりも自分自身で「自制」しているかどうかを判断できる用語だと思う。


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