自分で考える力を身につける子育て

 「自分で考える力」などは特に教育の分野で常々言われている言葉だと思う。学校、組織の教育目標の一つに入っていたり、子育て・教育本でも頻出している。時代、地域関係なく必要な力だというのは間違いない。


ここでは家庭教育を念頭に置くと、子供が考える力を身につけるために親が気をつけるべき点がとりあえず3つある。


1つ目は、子供に自由な時間を与えること。子供は自由な時間の中だと何をするかは自分の頭で考えて決めるしかない。とても単純だ。例えば子供の放課後の時間が全て習い事で埋まったりしたら自分で決めることは何もない。


2つ目は、子供になるべく消費する娯楽を与えないこと。こちらの方が難しい。難しいのでなるべくを付けている。「消費する娯楽」を具体的に言えば、主にテレビ、YouTube、ゲームなどの映像メディアなどだ。これらの娯楽は制作側がのめり込んでもらって時間を消費してもらうよう設計されている。それに乗っかることは製作者の意図通りの行動をすることになり、この場合は親の都合ではなく製作者に考える時間(と料金)を奪われていることになる。どのチャンネルを見るかどのゲームで遊ぶかの選択は「考える」というよりも「反応」しているという表現の方が適切だ。


これは極端な言い方で、全ての娯楽に当てはまるわけではもちろんない。例えばテレビ番組をきっかけになにかを思考し生活の行動が変わることもある。ゲームも例えば低レベルクリアのように制作側の意図を超えた頭を使う遊び方もできる。しかし消費する娯楽はただ中毒的にこちらの時間を奪われる可能性があることを留意しとかないといけない。それが中毒的かどうかは時と場合とその娯楽次第としか言えない。


消費の対義語は生産になる。消費する娯楽が考える力を奪うなら、考える力を養うのは何かを生産する作業になる。これは大体において当てはまると思う。絵を描く、工作などは子育て本でもよく奨められるよい例だ。


そして、3つ目は「考える力」というのは、単に頭だけの作業でないということだ。五感との連動を切り離して考えるべきではない。手、足、体全体を使う作業は脳と密接に絡み合っている。それらなくして健全な考える力は育たないと思う。この意味でも多くの映像メディアは眺めるだけで他の感覚を使用しない。絵描きや工作は複雑な手の運動を要求される。


まとめると、子育てで「自分で考える力」を身につけるなら、消費する娯楽を制限した環境の中で自由な時間を与えて五感の使用した活動をしているかを意識するということになる。