親の教育的役割は一貫した行動を示すこと

 父親、母親の役割というのは地域、時代によって違っていて固定的なものではない。だけど性差というものはどうしてもあるので、父親と母親それぞれにある程度の役割分担があるということはいつでもどこでも変わらない。


今の日本はというと、だいぶ女性の社会進出が進んできて、「イクメン」という言葉が出てきたように一昔前と比べて父親の家事、育児への参加が社会的に推奨される雰囲気になってきた。


これは都市部限定かもしれないけど、「社会的繋がり」が希薄になっているために、子育てに対して家族の役割と負担が大きくなってきている。村で子供を育てるというのも今は昔。「自由」であるとも言えるし「自己責任」であるとも言える。


一方で父親が会社で求められる成果、役割は変わってこないので父親の負担は増している。また「イクメン」というのも完全に家庭の領域に入るわけではなくて、母親の領域に一部進出するということなので、衝突が起きやすく上手くしないと母親の反感を買うだけになってしまう。今の日本都市部の父親像だろうか。


育児書の方を眺めてみると、子供との直接的な関わりはまだまだ母親主体であって、父親はサポーターないし縁の下の力持ち的な役割という内容をよく見る。また、社会的繋がりの減少によって今の母親の負担は増している、そして家庭の空気というものは母親の機嫌次第であるために、父親は母親のご機嫌取りが一番の役割と言っているものもある。なかなか当たっていると思う。


我が家の場合は、私の平日の帰宅は遅いので家事は妻任せ。子供と過ごす時間はあまりないけど、でも少しだけ一緒に遊んだり風呂に入ったり本を読む時間はなんとかなる。休日は買い物と食事の支度は私の役割になる。また子供と一緒に長時間遊びに出かけることも多い。また子供のバイオリンの自宅練習、日々の学校の宿題は母親担当で、それ以外の勉強面、長期休みの宿題は父親担当になっている。作業的な役割分担はほぼ固定化されている。正直、平日よりも休日の方は体力的には負担がある。


勉強や習い事を含めて子供に身に付けてほしい技能を選定と管理することは親の役割であることは間違いない。このための手段は言って聞かせて上手く誘導することが主になる。そのため言うことを聞かないことや反発することもある。


最近はテストの点数や身に付ける技術とか分かりやすい認知能力に対して、その下を支える非認知能力という言われ方が流行っている。非認知能力とは結局は良い生活習慣の積み重ねであることを前に書いた。ここでの良い生活習慣とは価値観や物の考え方も含んでいる。それらは口で言うことも必要だけど、大事なのは親がその価値観、考え方と矛盾がない行動を示すことと、良いと思う生活習慣を見せて一緒に過ごすことだと思う。子供になってほしい理想像があるのなら親もその理想像にあるかまたはそれに向かっていく姿を見せないといけない。言い方を変えれば良いロールモデルになるということだろうか。


この役割はもちろん両親ともに大事だけど、娘の場合は母親が、息子の場合は父親の方が主体になると思う。社会的繋がりの希薄化によってますます親に対してこの役割が求められるようになっていることになる。なんともしんどい。自分を見ても理想像にはほど遠い。上から目線で偉そうに言うけど実は親も不十分でごめん、でも大事なことはなんとか分かってねというのが実際のところ。


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