親子で取り組まなくてはいけない読書

 私自身は未成年の頃の読書を振り返ってみると、読むと言えばまずは漫画、たまに推理小説であって、それ以外は中高時代は学習参考書で大学時代も理系の専門書だった。読む範囲がとても狭かった。量にしてもそこそこ読むけど読書好きというレベルではなかったことは間違いない。


社会人になって、色々と壁に当たったり社会のことに疑問を持ち始めると、ようやく専門以外の本を読み始めるようになる。それから自分のこれまでの視野の狭さを知り、もっと早くから読んでおけばと思うことになる。


我が家を含めてほとんどの家庭がそうなのだろうけど、子供は年齢が上がるに連れて親の言うことを聞かなくなってくる。特に親の人生論などを語ってもまず聞き流してしまうだろう。子供にしっかりとした軸のある考え方を身につけてもらいたいと思うなら、それを親が語るのではなく自らその考え方に辿り着いてもらうしかない。


そうだとすると、親にできることは子供に読書習慣を身につけてもらうことだ。できればノンフィクションの内容の。読書習慣が軸のある人間になるための必要条件だ。逆に言えば親にはそれしかできない。ここでは軸のあるということを試行錯誤のうえで辿り着いたぶれない考えを持っているという意味合いで使っている。しかし、子供が何か軸のある考えを身につけたとしてもそれは、親が思っているのと違うものかもしれないが。


読書には人間としての軸をつくることが長期的効果だとすると、短期的には語彙力や国語力、ひいては学校の成績が上がるという狭い意味での教育効果ももちろんある。どちらかと言えばそちらの方が注目されやすいかもしれない。だが、なぜ学校でいう国語力が必要かと言うと、多くの本を読めるようになり自分の軸を作り、(否定ではなく)批判的に考えられるようになるためのはずだと思う。


子供が読書習慣を身につけるために親ができることは、家庭全体を読書することが当たり前にすることしかない。そのような家庭の空気をつくること、これ以外にない。幼児期からの絵本の読み聞かせから始まり、定期的に一緒に図書館通いをして一緒に本を選ぶ。そうして家庭内で親が本を読む姿を子供が当たり前と思うようになる。


他に必要なことはテレビやスマホなどの脳にとって敷居の低く流されれやすいメデイアをなるべく制限することだと思う。両親が本を読まずにテレビやスマホばかり見ていたら子供が本を読もうとするはずがない。ある程度成長して反面教師的に読書に目覚める可能性も0ではないが。


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